平成二十三年三月五日(土)~六日(日)  
於/京都大徳寺 芳春院

第二回 玄虹会展

樹齢100年を越えるこの五葉松は、ひとつの根から何本もの幹が立ち、
大きな“森”を表現している「根連り(ねつらなり)」という貴重な作品です。
中国中渡(約150年前)の紫泥鉢に植えられ、敢えて必要最低限の水と肥料によって
抑制された“侘び味”が、枝や葉に“老生の美”を表現しています。
ゴルフ場の刈り込みのような人為的な造形美ではなく、自然と歳月がゆっくりと創り上げたものです。
席主は、この盆栽を深遠な奥深い自然とし、春の息吹を思わせる苔と水溜り石、そして、
遥か向こうの山々から雪解け水のように流れる谷間の景色を、
貴船石(京都貴船神社付近で産出される石)で表現しました。
森から足下の春、そして、大自然の象徴である豊かな山容。
三点の構成で日本の風土の素晴らしさを見事に現した一席です。

五葉松根連り
鉢/紫泥外縁楕円
卓/唐木平卓

苔飾り
鉢/焼締南蛮手丸(吉田茂旧蔵)

貴船石
卓/唐木天排卓

風に靡く赤松の飄逸とした三幹は、味わい深い南蛮手(約100年前)の鉢によって、
一幅の掛軸を見る程の風趣を具現しています。
その松の眼下谷深くに岩清水湧く泉の如き石が、目に見えぬ山々の春を感じさせています。
断崖の松から谷間の岩場へ、そして、その向こうに穏やかな盤石の上で、
水を求めて根を張り屹立する楓の林景。
松、石、楓が織り成す瀟洒な構成の中に収められた厳しさと自然の謳歌。
まるで南画や水墨画の巻物が三次元に現出した一席です。
特に楓は、50年近い盆栽家としての技量を持つ席主ならではの枯淡の味わい見事な逸樹です。

赤松三幹
鉢/南蛮丸
卓/唐木天透高卓

加茂川溜石
水盤/古渡白交趾長方
卓/唐木中透か平卓

加茂川溜石
楓石付き
鉢/緑釉外縁楕円
卓/班竹隅切卓

「玄虹」の掛物は、当会発足に際し、その名付親であるこの芳春院ご住職様が揮毫されたものです。
瀬田川の石肌見事なこの石は、何を表しているのか、何が石から聴こえてくるのか、
観る方々がそれぞれに感じて欲しい深い一石です。
右手に飾られた「中国蓮弁蘭」に使用される盆器は、本来美術的花瓶として珍重される
中国清代の名器「闘彩蓮弁総花文尊式瓶」です。
内省的な和尚様の石、対照的な華燭の美陶。
共に侘び寂びの究極の中に存在する真実そのものです。

瀬田川石
卓/時代春日卓
(旧東大寺二月堂什物)

掛軸/「玄虹」
添 /中国蓮弁蘭
鉢 /古渡闘彩尊式型

鉢 /古渡闘彩尊式型

静かに飾られた一席です。
動きのある力強い溜り石は、その銘「龍池」の如く、
その深遠な淵の奥に神獣が宿る趣を呈しています。
石の渋みを大切にする為、敢えて中国中渡の
海鼠水盤に取り合わせ派手さを抑えたものです。

鞍馬石 銘「龍池」
水盤/海鼠切立長方
卓/唐木算木平卓

中央奥正面に飾られた一位の老大木を全てを超越した聳える神木と見立て、
そこへ誘う自然界を逍遥する人の心を表現しました。
懸垂しながら命の限りに百花を咲かせる日陰ツツジは、まさに春を謳い挙げています。
その先には、水辺の杭に佇む白鷺一羽。眼を見張る程のこの木彫は、田中一光師の名作です。
花咲く樹の下に、温む水鳥。対面は、北地の原生林さながらの蝦夷松の寄植え。
この樹は、席主と同じく信州の地でこよなく盆栽を愛し、
天寿を全うされた大家、小口賢一翁(号:寉龍庵)の遺愛樹です。
その脇に置かれた笠と杖、よく見れば笠は既に長き旅で綻びています。
この作品は、席主が対面の白鷺と同じく田中一光師にその意匠も注文し、
“旅の始まりと旅の終焉”と言う意を込めて二作所蔵される内のひとつです。
そして、その奥に神仙飛び交う程に峻険な山容を示す静岳石を配して、
蝦夷松、笠と杖、山岳石によって“旅を彷徨い、悟りを求め、
ようやく辿り着いたかと山を仰いだその向こうにあったのは、
己が如何に小さきものかと教えてくれる数百年を生き抜く大樹が示すあるがままの命だった”。
席主は、草木や水鳥で“生”の究極にあるもの、静謐なる自然の中に求道の歩みを進めた先に見据えたもの。
この両者の頂きに聳える大自然を一位の巨木に象徴したのです。

一位 
鉢/紫泥外縁長方

日陰ツツジ
鉢/和青磁丸
卓/紫檀五足丸高卓

木彫 白鷺(田中一光 作)

花咲く樹の下に、温む水鳥。

蝦夷松寄植(寉龍庵遺愛樹)
鉢/和楕円
卓/唐木算木中卓

木彫 笠に杖(田中一光 作)

静岳石
卓/紫檀中透中卓 (白井潤山 作)

永い持込みによって赤玉でありながら枯れ寂びた味を呈するウブなる溜り石に通常ならば、
白交趾や均窯の水盤などを配するのですが、葛明祥(中国清代中期の名工)の
短冊海鼠水盤によって存在感ある一席を表現しています。
溜り石は観者の捉え方によって、蹲の水溜りから、池、湖、果ては大海の景趣へと広がるものです。

赤玉石
水盤/海鼠外縁短冊長方(葛明祥)
卓/虎班杢平卓
添/鋳銅 蟹(金谷五郎三郎 造)

今が盛りの艶やかな満開の桜は、まさに人生の“この世の華”を謳い、深く感得すれば、
儚き花の命であると共に輪廻を繰り返す人そのものを表しているとも言えます。

寒桜
鉢/古渡烏泥外縁丸
卓/唐木正方高卓

五葉松
鉢/紫泥外縁銅紐丸
卓/紫檀輪花型五足高卓

鞍馬石 銘「飛船」(先師 片山一雨旧蔵)
水盤/三銀呑平長方
(貴重盆器・小林是空翁遺愛)
地板/唐木長方

舟形の鞍馬石は片山一雨翁遺愛、命名なる「飛船」です。
配する水盤は、盆栽・水石を国粋芸術として広め、苦難の時代を乗り越え、
現代の斯界を切り拓いて下さった小林是空翁の旧蔵品です。
昭和を代表する二大巨人の玩蔵が、ここに初めて一席の景趣を生み出しました。
対面の五葉松は、その幹の殆どを枯らしながらも大自然と言う絶対的な存在と、
闘い生き抜いた如き“老いて尚、厳たる存在を見せる龍”のような“玄なる樹”です。
この室から感得できるのは、生なる輪廻を繰り返す命(桜)、辿り着くべき“あるべき姿”(松)、
そしてこの二作を繋ぐ“渡れぬ船”(鞍馬石)によって現世と彼岸を対極に、そしてこれを、
ひとつのあるべき世界として具現したのです。

この座敷は、襖に鮮やかな色彩と筆致で天を舞う白鳳と地を駆ける麒麟が描かれています。
一般に龍と鳳凰の図匠が、気高いデザインとして定着していますが、
麒鳳も同意的な存在として学芸的には理解されています。
「地を駆ける麒麟、天空舞う鳳凰、そして、そこを行き交う龍」との意があり、
龍は空に昇り、最後は鳳凰へと化身するとのことです。
主石である古谷石 銘「獅子吼(ししく)」は、旦座する仏の教えそのものを感得する心から、
芳春院ご住職が命名したものです。
格調高く、脇床の天袋に描かれた日輪が表現するように、この部屋は幽玄なる侘びた世界と言うより、
“静謐にして厳なれど、典雅たる気韻を重んじ”とする席主の意が反映されたものなのです。
脇床上段の烏帽子香炉は、五摂家に因み、下段の石菖盆は、古来よりの定法に従い、
室中の気の正常なるを整える為にとの思いが込められています。

掛物/「雲龍図」
     冨岡鉄斎 筆

古谷石 銘「獅子吼」
卓 /紅紫檀重板香炉卓

脇床上段
古清水烏帽子香炉
下段
石菖 水盤/天竜寺青磁丸

この室は、水石三席によって構成されています。
そして、それぞれが単独した名石であると共に、響き合う三趣一体の景趣を生み出した
見事な“室飾り”と言えます。
斑朱銅名水盤に配した峻烈なる布瀑を抱く、貴船滝石。
この滝を対面の崖上より見ゆる滝見茶屋とでも言うべき、岩上茅舎石。
そして、この茶室から遥か向こうには、春霞の中に浮かぶ馥郁たる山容を示す、
瀬田川梨地の名石「近江路」。配する水盤は、名工 井上良斎の青磁。
若草色の水盤が、山裾の萌える春を表現しています。
三石が織り成す雪解けの春景といえます。

貴船石 銘「清谿」
水盤/斑朱銅切立長方
     (廣燿齋 造)
卓 /紅花梨平卓
   (日比野一貫齋 作)

安倍川石 銘「樹下老屋」
卓 /唐木曲足香炉卓
     (初代力蔵 作)

瀬田川石 銘「近江路」
水盤/青磁切立長方
     (井上良斎 造)
卓 /紫檀甲玉卓

枯れ寂びた屹立する貴船立石は、那智の滝、華厳の滝を彷彿とさせる瀑布を描く名石です。
配する水盤は、古美術界に永く伝承された古銅名品にして重ね菱の意匠も珍しいものです。
掛物は、江戸期名筆 松村呉春の「三日月」。
全てを“削ぎ落とされた究極の格調高い水石飾り”です。
点静かなる気高さここに有り。

貴船石
水盤/古銅饕餮文変り菱型
地板/真塗長方(中村宗哲作)
掛物/「三日月」
     松村呉春 筆

五葉松
鉢/南蛮丸
“太らせず、繁茂させず”に、枯淡の味わいを求めて愛培された五葉松です。
根元部分のサバを抱く曲幹の味は、この文人調の盆栽の見せ所です。
仄暗い京壁と板床に映るその風情は、ある種の盆栽美の醍醐味と言えます。
取り合わせの南蛮鉢(約100年前)をよくご覧下さい。
揺れ立つ幹は、僅かに樹冠頂上部で左方に流れを見せています。
南蛮鉢は、正面より左方が微妙に揺れ落ちる所を見付きとしています。
静謐なる文人調の作品ならばこそ、鉢の見付きに至る見えぬ僅かな所までも、
心配りのされた一席です。

真黒の平石の中に幾重にも広がる段丘。銘「悠久」がその姿を具現しています。
限りなく“静けさ”を求め、しかし、掌の寸法の平石に大いなる景趣を現出しています。
石相の気韻を重んじ、小さき重塔を配すことによって、
台座石の平飾りの真骨頂を感得するに至った静かなる賓席です。

加茂川石 銘「悠久」
卓 /紫檀平卓
添 /鋳銅五重塔

極めて小さき作品ですが、そこに込められた精神は、限りなく大きく、気高いものと言えます。
近代日本画の巨星として個人蔵も数少ない名筆速水御舟先生の掛物を配軸した
斯界に於ても初めての盆栽飾りがこの一席です。しかも、この御舟先生の作品は、近年まで尊き血流の中に秘蔵され、
美術界に於ても記録の中には存在しても、現作は戦禍の中で失われたものと云い伝えられてきたものです。

“御舟と盆栽”、これを芳春院様の茶室に披露し、盆栽界の美意識の深さを多くの人にご理解いただく一席です。
波頭の向こうに昇る日輪、古渡(中国清代初期)の紫泥盆器に植えられた赤松の老幹。
その幹は、屈曲、懸垂し、殆どを風雪によるサバ幹としながらも、葉組は生の謳歌を示すように天へ向かって伸びようとしています。
“陽はまた昇る”と人生になぞらえての言葉が有ります。「日出る国」としての日本。
その日輪と同じように、人もこの赤松も無垢なる心で“生きる”ことを顕現しています。

この一席は、御舟先生と言う近代日本画の宝を“用の美”として飾った初めての、そして、おそらく唯一の席となるでしょう。
掛物と盆栽の響き合う聲が迷雲亭の中に気韻として広がります。

赤松
鉢 /古渡紫泥外縁丸
卓 /唐木五足丸高卓
掛物/「波」速水御舟 筆

銘「不白」とあります。頂きに雪を抱く盆山に不白と銘された意を伺えば、
“山は青山であり、常にその本質は変わらぬものです。眼前に見える雪に眼を囚われて、
その本質を見失う事無きように”との言。一塊の石が名刹の茶室に鎮座する究極の精神の一端をこの石は物語っています。
配する卓は、唐物文房卓の傑作として斯界の宝とされるものです。
「電力王、電力の鬼」と謳われた松永耳庵翁の書です。
耳庵翁(本名:松永安左ェ門)は、福沢諭吉の薫陶を受け、大正から昭和、戦後の混乱期の財界を牽引した
立志伝中の人物であり、文化人としても数多くの文物を東京国立博物館に寄贈した方です。

戦後初の叙勲対象者として勲一等の内示が下りた時、時の池田首相の内示に
「人間が人間の価値をつけるとは何事か」と、恫喝した事はあまりにも有名です。
文化国家として歩むべき道の混迷を続ける現代の日本に於いて、ご住職が命名した「不白」の心、
そして、耳庵翁が生きた姿勢こそ、これからの私達のあるべき姿を諭してくれているのではないでしょうか。
掛物の「玄妙」は“宇宙の真理を解き明かす程の深遠なる道理”の意。

加茂川石 銘「不白」

卓 /紫檀総彫飾香炉卓
掛物/「玄妙」松永耳庵 筆

堂本印象の筆による「聴無声(声なきを聴く)」は、水石飾りとしてまさに絶妙な一席です。
脇床の硯箱、大筆掛け飾りなど、席主ならではの含蓄が成せる業と言えます。
古渡均窯の名水盤に配された紫貴船石は、滝石でありながら、老荘思想にも通ずる気孔も有する賓石です。

掛物/「聴無声」堂本印象 筆
添 /古銅親子亀
脇床 富士図硯箱 橋本関雪 筆
敷物/加賀伝来名物裂袱紗
掛物飾り/大筆 工藤雄斉 作

紫貴船石 銘「円空瀧」
水盤/古渡墨流し均窯楕円
卓 /唐木香座間透卓

富士図硯箱 橋本関雪 筆

近年“作り過ぎたる盆栽”が様々な展覧会で散見できますが、
盆栽とは「人の介在が消えかかるが如き、僅かな刻こそが幽玄なる趣を呈し、
そこに気韻生動の感が顕現する」と古人の言葉が蘇ります。
盆栽の美は、刻々と移りゆく時間の中に存在する“生命の美”であること。
そして、人智より更に気高い“自然”があることを教えてくれます。

古渡烏泥の名器に収められたこの老松は、盆栽界に於ても本邦初公開の作品です。
屈曲する太幹、赤松ならではの降りゆく枝々。さながら、名筆による屏風絵を見ているが如きです。
八瀬(京都北部、八瀬の里付近の産)の大茅舎石を配することで、その興趣は更なるものとなっています。

赤松
鉢 /古渡烏泥外縁下紐丸
卓 /紫檀竹彫丸卓
添 /八瀬真黒茅舎石